プロデゥーサー 野辺忠彦

 高度経済・バブル経済時代も、終わってみれば、各地のふるさと文化は崩壊し、都会では、人が実際に生きていくために必要な知恵や、人生の価値を学ぶ生活環境を喪失してしまい、日本人は今、心の荒廃時代を迎えてしまったように思われます。同時に、日本映画も、大きな試練の時を迎えたようです。映画とは、時代の心を写す鏡です。そして、生活者の心の奥の願いを、そっと描き出したいものです。しかし、今、日本映画は、そんな時代の心を、一体どこまで描き出すことが出来るのか。しかも、新世紀は否応なく国際化時代を迎え、世界の人々に問うべき日本発の国際映画も創らなければなりません。しかし、そんな自問に、正直疑念を禁じ得ない現実がございます。現代の心の環境の荒廃現象を反映してか、真正面から心の時代を問う映画の製作環境も、厳しい課題を抱えている現状だからです。

 しかし、この度の、本映画『親分はイエス様』製作決定に至る迄には、こうした日本映画のおかれた試練に対する、多くのご支援に支えられたからこそ−の経緯がございました。例えば、ミッション・バラバのメンバー中島哲夫は、映画化賛同にとどまらず、本映画製作のために、新たに日本映画投資機構を設立。それは、国際映画製作のための、新しい構想に基づく映画製作資金調達を設立趣旨とした会社です。私どもの主幹・高橋松男は、現在、米国の映画製作システムを導入した数々の国際映画企画を準備中です。しかし、国際作品の提供のためには、準備段階から、確固とした資金運用システムが、不可欠であるとの構想に、中島が呼応しての設立でした。 また、その国際映画の第一歩は、まずは、隣国:韓国とともにスタートしたいと考えておりましたが、偶然、メンバーの奥様方が韓国の女性であり、また、韓国ではキリスト教の方々が多いことから、日韓議員連盟を初め多くのご支援の声が上がり、韓国側の格別の協力体制が進行中です。

 また当社は、映画は生活者と密接したものでありたい。受け手と送り手が一体化した映画事業をと念願してまいりました。幸い『稚内発 学び座』においては、全国各地の方々と、共に心を学ぶ環境創りとしての上映運動を、現在全国1,000会場を越えて展開中です。それは、子供達のために、地域すべての大人たちが垣根を超えて行う、官民一体の地域生活運動です。映画が、同じ時間、同じ空間での共同感動体験を実現して頂くためのメディアであることを、熱い上映会場の体験を通して、全国の方々にご理解頂けたからであり、現在、その方々から、本映画へのご支援のお声が寄せられています。

 思い起こせば、今回脚本担当の松山善三監督の映画『典子は、今』は、かつてサンフランシスコ映画祭グランプリを受賞。ところが、10年後、さらにもう一度同賞を受賞。その受賞理由は、劇場公開後も世界中の人々に、感動を与え続けている事実に対してでありました。私どもは、まさに映画とは、国境と時代を超える生命力があることを、当時、学ばせて頂いたものでした。その後、『ビルマの竪琴』『人間の約束』『螢川』『次郎物語』『ケニー』『一杯のかけそば』他、一貫して、心の時代を問う作品を手がけてまいりました。そこから得た、様々な体験やご縁に立脚して、今回満を持して、映画『親分はイエス様』の製作を決定させて頂いた次第です。

 本映画は、ご夫婦は勿論、すべての本当の人生を願う方々に捧げる映画です。体の奥からわき上がる男と女の命の衝動が、愛という尊いものへと育つ姿に。時に、罪を犯しながらも愛によって許された時、自らの愚かさを知った男の姿に。やり直しの力という不思議が、すべての人間に備わっている真実を見い出して頂きたいのです。そして、すべての方に、映画が、心の時代を開くメディアであることをお伝え出来ることを心より願っております。何事皆様方の、暖かいご理解・ご支援の程、謹んでお願い申し上げます。

脚本 松山善三

「忍耐の向こうに」 死のうと、生きようと、俺の勝手だ。放っといてくれ! これが、ヤクザ、極道と呼ばれる世界に生きる男たちの、初めと終わりのセリフである。 「自分勝手に生きるのは、良い」しかし、彼らは、自分たちの生き方が、親兄弟は勿論、普常一般の人々を、どれほど傷つけ、苦しめているのかを知らない。それに気づこうともしない。「いつでも死んでやるぜ」と言うのが彼らの生甲斐であり、ミエだ。kれども人間は百人百様。そのミエの後に恐怖や恥を抱いている男たちもいる。その男たちの胸に、或る日、ポッとロウソクのような火がつく。炎は、次第に大きくなって、やがて全身を焼き尽くすほどの火力となる。誰が、その火をつけたのか。「人である」「他人である」「恋人である」「恋人であり」「妻」である。その人たちが、彼らの心のロウソクに火を点じ、彼らは、やがて、自分で自分を更生させる。 愛に、めざめるとでも言うのだろうか。その根元に、イエスの光がある。ロウソクの火と、イエスの光は合体する。それを、私たちは「良心」と呼ぶ。良心は「忍耐」を生む。もう忘れられた言葉だが、忍耐があってこそ、「親分はイエス様」と言えるだろう。そんな男たちが集まって「忍耐」の向こうへ、新しい道を探そうとしている。それこそが「男」と言って良いだろう

 

監督 斎藤耕一

 これは壮絶な愛の物語である。  単に今日極道が立ち直り目覚めていく話なら、今まで映画小説にも数限り無くあった。  しかし、このミッション・バラパの実話は、そういう類いとは違って鮮烈である。  それは立場や職業、国籍まで越えて真実人間が「愛」を信じた話だからである。  世間から極悪といわれ、自らも襲いくる恐怖と戦いながら命を磨り減らしてきた男たちが、その暗 闇に射した一筋の光をたどった時、そこに見たものが一体何だったのか。神なのか夫婦愛なのか。 しかしミッション・バラバが、現在時に自らの入れ墨を人前にさらし、聖書を手に、懸命に神の教え を説く姿は全く虚像ではなく、紛れもなく本物である。型破りの伝道といってしまえばそれまでだが そんな表現は彼らの真撃な眼差しの前にはじき飛ばされるだろう。  昔から日本人の美徳といわれ、誰からも尊敬され愛される情念に「自己犠牲」という言葉がある。 自らを犠牲にして親、家族知人、時には全くの赤の他人まで救うという精神は、日本人が非常に好む 人間像であり、その精神構造を基本に据えたドラマは必ずヒットするといわれた。  現在のミッション・バラパが、その「自己犠牲」をどう解釈しているかは知らない。また彼らを支 えてくれた妻たちが、夫たちにどんな仕打ちを受けても挫けなかったのも「自己犠牲」精神だったのかどうかも判らない。恐らく彼らの心の中には、そんな理屈っぽい概念なん かなかったに違いない。 私が彼らと出会って感動するのはその理屈抜きのひた向きな「正直さ」であ る。 「今のあなたを支えているものは一体なになのですか」私がその中の一人に尋ねた時、彼は何のわだかまりも照れもなく「愛でしょうね」といった。その 迷いのない顔に私は思わず次の質問が出来なかった。その「愛」が妻の愛なのか、神の愛なのか。多 分彼らの気持ちの中にはそんな区別は必要ないのだろう。そんな図式化され、評論化された分析は全 く無用である。以来私は、自分の目で如何にこの現代の奇跡ともいえる人たちに近づけるか、ミッシ ョン・バラバとは何なのか。関心はいやでも高まった。  ミッション・バラパの皆さん、何でも教えて下さい。とにかくあなた方の過去、現在、そして未来 への夢、その全てを映像に刻んで見たいのです。そして一人でも多くの人たちに見て貰いたいのです。