刺青クリスチャン誕生す

「刺青クリスチャン」より

 

十字架を担いで日本縦断

 一九九二年(平成四年)の春、私(鈴木啓之) は沖純で希望に満ちた第一歩を踏み出しました。

 それは「日本リバイバル十字架行進」の始まりで、日本全国を南から北まで歩いて縦断しながら、キリスト教を路傍伝道していこうという、途方もない大プロジェクトの始まりでした。それも、長さ三メートル、重さ四〇キロの木製の十字架を交替で背負って歩く、というものでした。

 毎日四〇キロメートルほどの距離を歩きながら、人の集まるところで辻説法をする。そういう路傍伝道をすることで、もちろん神やキリストのことを人々に少しでも知ってもらいたいというのがその目的のひとつですが、と同時にその経験で、自分が大きく変われるのではないかという願望を持ったのです。

 生まれ変わりたい、生き直したい、その時私は、それまでの自分を捨てて新しい自分を作りたいという、心の底からの叫びにつき動かされていました。

 その二年前まで、私はヤクザをしていました。よくもののたとえとしてヤクザな稼業といった言い方をしますが、私のは正真正銘暴力団組織に属し、それも若頭という組長から二番目の地位で、どっつぷりヤクザにつかった生活だったのです。

 そのヤクザ生活を私は十七年間やって、その結果、仲間から命を狙われ、妻子も捨てて逃げまどうというぼろぼろの人生を生きることとなり、あるとき、イエス・キリストに出合って、この十字架行進に参加することになったのです。 一ヤクザからイエス・キリストに出合うまでの経緯は、後で述べさせて項くこととして、ここではこの「十字架行進」の中で、私が何と二人の同じような経験をした同志とめぐり合い、その後次々に元ヤクザたちが集まってきて、ついには元ヤクザ、今クリスチャンの伝道集団ミッション・バラバが結成されるに至ったまでを、話したいと思います。 「十字架行進」に参加するきっかけを作ってくれたのは、アーサー・ホーランド牧師でした。彼は日本人とアメリカ人の混血。ヤクザではありませんでしたが、若い頃はけっこう「ワル」もやって、クラブの用心棒をしたこともあると聞いてています。全米アマチュア・レスリングのチャンピオンでもあったそそうです。

 そんな彼が伝道師となり、何を思ったか突然新宿の歌舞伎町で路傍伝道を始め、いつの頃からか私は妻と一緒に彼の手伝いをするようになっていました。そしてある日私は彼に自分がヤクザだったことを打ち明けました。

 ですから「十字架行進」の計画を知った時、私は一も二もなく参加したいと思ったのです。その時私は神学校に籍を置き、ほとんど稼ぎもなくもちろん貯えもない状態でしたが、妻の許しを得て沖縄へとやってきたのでした。

熊本県警に挨拶する

 沖縄を出発して三日目、本土へと渡った私が足を踏み入れたのは熊本県でした。熊本市内を歩きながら私は、こみあげる思いを感じていました。それは熊本県警の傍らを歩いていたからでした。

 私はホーランド牧師に頼みました。 「拡声器を貸して下さい」 「え? 覚醒剤?」

 牧師はおどけて言いました。しかし私は笑っている余裕はありませんでした。やにわに拡声器をつかむと、思いがけず私の口から言葉が飛び出してきたのです。 「熊本県警の皆さん。以前お世話になりました鈴木でございます。私は悔い改めて、イエス・キリストを信ずるようになりました。以前はご迷惑をおかけしました。しかし今は真面目にやっています。人間は法律によっては救われず、愛によってこそ救われることを知りました。どうぞ県警の皆さんも、神様を信じて下さい!」

 自分が喋ろうと予定していたわけでもないのに、こうした言葉が自然に口から出てきたのです。 「言ってごらん」「やってごらん」。神様がそっと背中を押して下さったのを感じたのです。この時から私は自分が変わってゆくのを自覚し始めlました。「行進」は関門トンネルを通って本州に上陸し、中国地方を通り抜けて姫路までやってきました。 姫路の教会で開かれた集合に、続けて来ている男性がいました。いかつい顔にパンチパーマのその人は、いつも最前列に座り、私たちの証を熱心に開いてくれました。そして自分も一緒に「行進」に加わりたいと申し出たのです。 なんと、その人も元ヤクザだったのです。妻子と別れ、覚醒剤に溺れ、子供と心中しよとまで思いつめ、でもその時は神の力で立ち直り、教会に通っていたのです。造園業を営んでいた彼は、仕事を調整するのも難しかったのですが「行進に参加しなさい」という神の声に押されるようにして、やってきたとのことでした。六月に、盛岡から参加、一緒に歩くようになりました。こうして私はヤクザだった高原芳郎さんとめぐり合い、共に神の働き人となる道を行くこととなりました。

 元ヤクザが次々結集

 そして津軽海峡を越えて北海道に渡り、ようやく最終目的地の宗谷も間近いと思えた小樽で、私はまたも、元ヤクザで今クリスチャンの井上薫さんと出合うことになります。

 井上さんもそれまでに大変曲がりくねった道を歩んできて、三度も自殺未遂をしたと言います。それでも一人の女性に聖書を渡されたことから、神の存在を信じるようになり、教会に通うようになっていたのでした。

 集会で彼は司会をしていました。もの静かで落ち着いた雰囲気の彼がヤクザだったなんて絶対に思えませんでした。 しかし、「ハレルヤ!」と両手を挙げたその時に、袖口からチラリと刺青が見えて、私は「あっ、ここにも仲間がいる」と、なんだか嬉しくなりました。

 井上さんもさっそく私たちの「行進」に参加して、その頃には総勢九人となった「リバイバル十字架行進」のメンバーは、その年の夏に、最終目的地の宗谷岬に到着、五ヵ月以上に渡り百五十回もの集会をこなしながらの行進で、私ははっきりと自分の行き先を示されたように思いました。

 この「十字架行進」のことが少しずつ世間に知られるようになって、アーサー・ホーランド牧師の元に何人かの元ヤクザ、今クリスチャンの人たちから問い合わせが入るようになり、ました。

 最初に連絡してきたのは、かつて大阪でヤクザをしていた金沢泰裕さん。クリスチャンだった父の死を機に悔い改め、将来を模索していた人でした。背中に彫られた刺青が龍と虎で、これがキリスト教では悪魔の紋章ではないかと心配してきたのでした。

 この金沢さんとは、私は昔大阪の賭打場で合ったことがあります。今はお互い牧師になって、運命の不思議さに顔を見合わせるのです。

 また元組長で大阪抗争を闘った吉田芳幸さん。二十年間ヤクザをやって、「ヤクザほど素敵な商売はない」と思っていた中島哲夫さん、クリスチャンホームに生まれながら強盗という罪を背負って日本中かけ廻っていた真島創一さん、そして刑務所の中で神の愛に目覚めた信田和富さん。

 不思議というかやっぱりというか、ヤクザだった時代にイエス・キリストにあって、それまでの生活を捨てて生まれ変わりたいと願った人たちが次々に集まってきたのです。こうして私たちは聖書を勉強しあい、同じ経験をした者同士の励ましあいに支えられて、神の御心に添い、その伝道者となることを心に誓ったのでした。

 ミッション・バラバという名称は、その頃から名乗るようになりました。バラバとは聖書にでてくる極道者。殺人、強盗など、エルサレムで悪行の限りを尽くしたとされています。

 そのバラバが本当は十字架にかけられるはずだったところ、キリストが身代わりとなって十字架にかかったため、バラバは助かった。その後のバラバは消息不明、どうなったかはわからないということです。

 悪逆非道をしてきた私たちには実に身につまされる話で、私たちの罪をイエス・キリストが身代わりに背負って下さったと思ったものです。  こうして私たちは伝道集団、ミッション・バラバを結成しました。